三式中戦車および四式中戦車についてのQ&A

その2


メールで頂いた森垣さんの質問

四式に関する質問事項

Q1.四式中戦車の機動力  

Q よく物の本に「油圧操縦方式」とあります。物知らずで恐縮なのですが、これは何を油圧で動かすのでしょう。ギアチェンジか。

A 「操向機。 レバーは4本。前進4段、後進1段、高低副変速機付き」 原田氏 談
  「減速が難しかった。 操縦は九五式軽戦車が1番楽だった」 原田氏 談

  注1:変速機は日本としては初めてのシンクロメッシュを採用した。 前進4段、後進1段、高低副変速機付きである。 
      操向機は従来からの日本のお家芸の操向変速クラッチ方式を採用し、30t車の操作力に合うように油圧動力機構を
      併用した。     
      
戦車マガジン1980/5月号「痛恨の4式中戦車」より      

Q また、油圧方式を採用する事で従来より改善された点。  

A  従来の九七式中戦車に比べ倍の重量の車輛を日本人が操縦する上で、機械式の操作装置には無理があると判断されたため。

Q 日本では油圧系統の技術があまり優れていなかったと聞きます。油漏れ等の支障があったか否か。  

A 「パッキングが悪いのか通常でもオイルがポタポタ漏れていた」 原田氏、辻本氏 談

Q 動力関連で、走行中の騒音はいかなるものだったか(程度と弊害。他の戦車や当時の車に比べてどうか)。

A 「当時の戦車は騒音がうるさいというのが当たり前だった。 だから戦車兵は声が大きいというのが特徴だ(笑)」 原田氏、辻本氏 談

Q 排煙の程度。位置秘匿に困難を感ずるほどであったかどうか。
Q 騒音と排煙、合わせて戦闘に支障ありという判定が下されたか否か。

A 「特に問題はなかった」 原田氏 談

Q2.四式の戦闘能力  

Q バスケット式の戦闘室(この用語が正確かどうかは分かりません)を採用していたか否か。

A 「バスケット式ではなかった」 原田氏 談

Q また、それは何式戦車から採用されたか。  

A 日本戦車にバスケット式が採用されたのは戦後の61式戦車からです

  日本戦車にバッスケットが採用されたのは五式中戦車からです。
   帝国陸海軍の戦闘用車輛 P163の写真参照   9/8でゅらさんよりのご指摘

Q 車載重機の配置。車体前面以外にもう一挺あるはず。  

A 「砲塔後部には砲弾を置いたので対空用の重機を車内に置いていた」 原田氏 談

Q 主砲弾種。破甲榴弾と榴弾の年式名称。また、それ以外の弾種は搭載していたか。
  陸軍の対戦車砲弾には鋼身実弾(鉄の塊。無炸薬。陸軍にこの用語があるかどうか不明。要するに徹甲弾)がなかったというので…。

A 「徹甲弾と榴弾」 原田氏 談

  注:一式徹甲弾と試製四式榴弾

Q 主砲発射時の砲声はどんなものだったか(甲高いとか腹に響くとか)。  

A 「撃った事が無い」 原田氏 談

  注:東富士演習場の四式中戦車最初の射撃試験にて(昭和20年3月9日)
    「今までの戦車砲とは桁違いに大きな発射音、砲口火光煙、それに発射反動による車体の揺れ等は、
     同乗の技術将校方には恐怖感を与えた」  
     戦車マガジン1980/5月号「痛恨の4式中戦車」より

Q 砲弾装填にかかる時間はどのくらいか。  

A 「よく覚えていない」 原田氏 談

  注1:「装填も発射後秒ほどで完了し、発射速度は十分である」
      戦車マガジン1980/5月号「痛恨の4式中戦車」より

  注2:発射速度は15発/分程度と高い水準と見られている。
      ちなみにM4A3E8の発射速度は20発/分
      PANZER 97/3号「日本陸軍四式中戦車対イージーエイト」より

Q 砲弾の置き場所。砲塔内に何発置いていたか。  

A 「40発ほど」 原田氏 談

Q 仮想敵戦車に対する戦闘要領の詳細。

A 昭和20年に対戦車戦闘の参考/陸軍機甲本部刊が出され戦車学校の教官が内地の第一線部隊に出向いて
  普及教育が行われた。
   日本の機甲60年より
  

3.四式の装甲  

Q やすりで削ってみた事があるかどうか(これは重要)。
  靱性を重視した大戦後半の各国戦車装甲はいずれもこういう性質を有していたという記述を読んだことがあり、
  また日本戦車の場合は材質悪化によってこうなったという説もありますが、いずれにせよ、四式の装甲はどうだったのか。

A 「そんなことはやった事がない」 辻本氏、原田氏 談

  注1:一部の戦車兵の間では司馬遼太郎氏の評判は悪いそうです。 

  注2:装甲板の考え方が変わり、以前は硬度の高い装甲板(reflecter型)を使用していたが、後期は軟質の装甲板        (catcher型)を使用することにより衝撃を吸収する方式になったのを司馬遼太郎氏は知らなかったようだ。

   注3元機甲兵大尉で戦時中陸軍機甲本部第2課課員として四式中戦車の開発に携わり、戦後陸自の富士学校
      機甲科部員として
61式戦車の開発に携わった曽根正儀氏は、戦車マガジン紙上にて装甲板の種類を解説
      した上で
司馬遼太郎氏の記述(歴史と視点-戦車・この憂鬱な乗物)に対し、
     「少なくとも装甲板の質をやすりがかかるか否かだけで判断できると思われているのは誤解である。
      M4戦車もやすりがかかる装甲板であったのである」と述べている。
       戦車マガジン1980/5月号「痛恨の4式中戦車」より

4.その他  

ベンチレーターは装備されていたか否か。

A 「旧軍戦車(ヂーゼルエンジン搭載車)は吸気口が車内にあったので換気がよく、ベンチレーターの必要性が無かった」  原田氏、辻本氏 談

居住性のほどは(車内有効容積、振動、騒音等)。  

A 「中は広かったな」 原田氏 談

 注1:「車高を低く押さえたところへもってきて、戦闘室の床下に大型バッテリーを4こと75mm砲弾を30発以上収納する
    必要があるため床面が高くなり、射手にとっては天井が下がり床が上がって射撃姿勢が相当に窮屈になっていた」
     戦車マガジン1980/5月号「痛恨の4式中戦車」より

無線装備の有無。  故障の多さはどのくらいか。  

A 「チハやチハ改、それ以降の戦車にはすべて無線機は配備されていた。」
  「通常は極超短波無線機(500m範囲くらい)だが、中隊長車には短波無線機がついていた」  原田氏、辻本氏談

写真では砲口が痛んでいるように見えるが、これは射撃試験によるものか。

A 「覚えていない」 原田氏 談

また、教育では砲身命数は何発と教えられたか。

A 「聞いた事がない」 原田氏 談

三式中戦車に関する質問事項 1.

三式の全般的評価  

故障が多くはなかったか(一式や九七式の車体に野砲を載せたので無理があったのではないかと思う)。  

A 「走行中は砲身が重いので砲塔を後向きにして走らないといけなかった」 辻本氏 談

居住性のほどは。乗員が一名増えた影響はどうであったか。

A 「それほど狭くなかったと思う」 辻本氏 談

  注1:現代の感覚では狭いと思われるが、車内には運転手と機銃手(通信手)以外は席が無かったようなので戦闘中は
     立ったままだった。
ちなみに、旧軍の戦車は戦闘中を除き移動する場合、車内には運転手と車長しか乗りこまず、
     他の兵は段列(補給部隊)の
自動貨車(トラック)か戦車の後部に乗って移動するのが基本。
     戦闘もまる1日以上続くことなどほとんど無いので問題は無かったと思われる。

また、乗ったのは一式車体利用のものか九七式車体利用の方か(一式の車体が足りないので九七式車体を流用したものも多かったと聞く)。  

A 「三式中戦車(一式の車体を利用した物)」 辻本氏 談

無線装備の有無。

A 「チハやチハ改、それ以降の戦車にはすべて無線機は配備されていた。」
  「通常は極超短波無線機(500m範囲くらい)だが、中隊長車には短波無線機がついていた」  原田氏、辻本氏談

  注1:戦車用として終戦まで使用された主用無線機として
     九四式四号丙無線機(電信・電話)行動間・電話 通達距離 1km 全備重量 90kg 使用されていた。
     その他指揮官用の九四式二号丁型無線機(電信・電話)、騎兵通信隊用の九四式三号甲無線機(電信)、
     装甲自動車用の九四式四号乙無線機(電信・電話)などもあった。
     無論、当時のものですから真空管の破損などにより通信不能になる場合も多く、その時は「戦車操典」に書かれて
     いる車外記号表に則り、
旗及び手信号、灯火記号で指示されたようです。

2.三式の兵装  

車載重機の配置。  

A 「前方機銃と対空戦闘用の機銃」 辻本氏 談

Q 砲弾の種類と名称。 

A 「徹甲弾と榴弾があったが、ほとんど榴弾しか供給されなかった」 辻本氏 談  

  注:一式徹甲弾、九〇式鋼銑榴弾

Q 砲弾装填に要する時間と、砲声の程度。  

A 「実弾は各車3発づつ、小隊で計9発しか撃ったことしかない(笑)」 辻本氏 談
   (配備された車輛の照準用眼鏡の調整がされていなかった)
  「九七改の47mmに比べると75mm砲はすごい衝撃音がした」 辻本氏 談

仮想敵戦車に対する戦闘要領の詳細。

3.機動力  

Q 実感としてどう思ったか。速いか遅いか、登坂能力はどう感じたか。  

A 「ほとんど乗っていた記憶がない」 辻本氏 談

Q 双方について  技術将校のこれら新型戦車への評価はどのようなものだったか。  

A チヌ車について
 「昭和19年5月に急遽火力増強の研究下命あり、チハ車、チヘ車を土台に九〇式野砲や75mm加濃砲の搭載を検討し、
  チヘ車に九〇式野砲を砲塔搭載することに決定したものである。 相次ぐ泊り込み設計し、昭和19年10月には
  試験という突貫作業で、チヘ車340輌を切り替え生産された。18.8tでやや頭でっかちの感はあったが、火力も
  機動性も一応の水準に達した優れた戦車といえよう。 時既に遅く、国土防衛線に配備されて終戦を迎えたのが
  残念である」
   四研史より

 「私の記憶によれば1ヶ月程で設計を終了し、即刻生産に入り、2〜3ヶ月の間に数十台生産したが造るそばから戦地に
  送ると言っては運び出されて行った。      
    中略  
  三式は特にいわゆる即席戦車の感が深い。 がしかし強えて言うならば、当時の生産された時点では米軍のM4と十分に 
  戦える力はあったと思う」
   戦車マガジン1979/3月号「三式中戦車」より(著者は当時の三菱の技術者 大高繁雄氏)

Q 古参の下士官らの話を聞き、戦訓を研究し、新鋭車輌である三式四式 に搭乗してみて「これならば」という自信が湧いたかどうか。  

A 「九七式に比べ75mm砲を積んだ三式を見たとき頼もしく思えた」 辻本氏 談

実感として、良い戦車だったかどうか。  

A 「ほとんど乗っていた記憶がない」 辻本氏 談

  「色々作戦計画の教育やらあり、部隊に入ったのは既に6月だったような気がします。艦載機も良く飛来しており、
   動もままらなず。河原に置いてあ った戦車が梅雨の増水で、水浸しになって整備に追われたり、作戦移動時の
   道路偵察やら、特に宮崎は川の多いところで、当時の橋は戦車が渡るだけの強度がなく、その補強を考えたり、
   徒渉地点の捜索なども始めたところでした。 実際、戦車に乗った記憶は、小隊配属の3両の戦車の照準眼鏡の
   取り付け 調整の試験射撃をやった時だけでした。
   出来立ての戦車で砲の照準眼鏡の 取り付け調整まだ出来ておりませんでした。
   1車3発で調整するのですから 大変です。もし、あのまま戦争していたらと思うとぞっと致します。」 辻本氏からのメールより

 機甲兵科全般について

1.編制  

Q 陸軍機甲兵科の編制詳細。教育された限りの事で。
 小隊〜連隊にいたる編制規模と車種。
 所属部隊の「編成」。

Q 砲戦車は配属されていたか否か。  

A 「ホロ車(150mm搭載)は見たことがある」 原田氏 談
  「分散配置されていたので他の隊の車輛については不明」 辻本氏 談

各団隊長の階級。  

Q 十八聯隊長島田豊作氏の階級は(マレーの時に少佐で終戦時にも同じ とは個人的に考えられないので……)。

A 「島田連隊長は確かに少佐だった」  辻本氏 談

2.装備  

Q 十八聯隊と二十八聯隊、それぞれに配備されていた車輌と内訳。  

A 戦車第十八連隊

  「私のいた三中隊は三式中戦車装備で、中隊本部2輌、3つある小隊に3輌ずつの計11輌」
  「他の隊は分散配置されていたのでよく判らない」  辻本氏 談   

  注1:戦車第十八連隊の編成は、
     昭和19年9月 連隊本部、第1中隊-九五式軽戦車10輌、第2〜第4中隊-九五式軽戦車2輌、九七式中戦車10輌、
            整備中隊からなっていた。
     昭和20年8月 九七式中戦車改25輌、九五式軽戦車12輌、砲戦車(九七式中戦車?)10輌 
     日本の戦車より

  注2:四式15糎自走砲ホロも少数配備されていた
     ファインモールド社 三式中戦車実車解説より

  戦車第28連隊

  「28連隊は千葉戦車学校教導隊が基幹となり編成された」
  「一式中戦車で編成された中隊もあれば三式中戦車の隊もあった」 原田氏 談

  注:戦車第二十八連隊の編成は、
    昭和19年編成当時 第1中隊-九五式軽戦車、第2中隊-九七式改17輌、第3中隊-九七式改17輌、
             第4中隊-九七式改17輌、第5中隊-一式10糎自走榴弾砲6門
    昭和20年8月    中戦車2個中隊-一式中戦車各10輌、砲戦車2個中隊-三式中戦車?各10輌、
             自走砲1個中隊-一式10糎自走榴弾砲6門、その他作業中隊、整備中隊を持ち定員1198名  
     日本の戦車より

Q 戦車の中に、徒歩戦闘に備えた装備を置いていたか否か。あったなら、 何という武器か。  

A 「携行武器として拳銃を持っていた」 辻本氏、原田氏 談

Q 軍刀を車内に持ち込んでいたかどうか。

A 「なぜか持ちこんでいたな(笑) 」 辻本氏、原田氏 談

3.将校  

Q 騎兵科出身将校が機甲兵科将校全体に占めた割合はどれくらいか。

A 「割合までは分らないが、上官にも騎兵出身者は多くいた」   原田氏、辻本氏 談

Q また、彼らは陸士出たての初級士官からみてどのような存在であったの か(態度、物腰、お互いの意識など)。  

A 「騎兵出身の将校は背も高くお洒落だった。逆に戦車兵はずんぐりむっくりしている(笑)」 辻本氏、原田氏 談

Q 沖縄の戦訓研究とその実践は。また、そもそもそれをを行い得る時間が あったかどうか。 

A 「沖縄戦のことは聞いたことがなかったが、他のサイパン、硫黄島の戦訓は驚くほど情報があった」   原田氏、辻本氏 談

4.教育

Q 陸士時代に、留学生はどれくらいいたか(出身地と人数)。また、彼らの 士気はどれほどであったか。

聞き漏らしましたm(__)m。 

Q 雑誌「機甲」を読んだ事があるか否か。否ならば存在は知っていたか。

A 「読んだことはない」  原田氏、辻本氏 談 

Q 教育で使用された戦車は何だったか。

A 「九七式中戦車、九七式改、(八九式は見たことがなかった)」  原田氏、辻本氏 談 

Q ノモンハンの戦訓教育を受けたか否か。
Q ペリリュー島やレイテ・ルソン島、硫黄島の戦訓教育を受けたか否か。
Q 受けたならば、どのような内容だったか(その要点)。  

A 「58期からは対米戦を意識した教育がされていた」
  「士官学校では驚くほど正確な各地での戦況や戦訓についての教育があった。」
  「M4戦車についての情報では九七式改ではM4は銃眼を狙うか車体下部を狙う」
  「バズーカ砲の情報もあった」
  辻本氏、原田氏 談

注:昭和20年に対戦車戦闘の参考/陸軍機甲本部刊が出され戦車学校の教官が
  内地の第一線部隊に出向いて普及教育が行われた。

   内容は戦車を掩体の中に入れておき相手戦車をやり過ごしてから
  後面または側面から射撃するといった戦法。

  M4に対しては47mm砲は通常の射距離で対応できないので、近距離からの砲口、
  眼鏡、潜望鏡、履帯などの弱い部分を
攻撃するように示された。  
   日本の機甲60年より

Q 戦車戦闘に関する教育は、歩砲戦工の諸兵連合方式だったかどうか。  

A 「教育ではそう習った」 辻本氏、原田氏 談

注:対戦車戦闘ノ参考 / 陸軍機甲本部

Q ソ連戦車が仮想敵戦車として教育時に挙げられていたか否か。  

A 「58期くらいから対米戦を意識した教育だった」 辻本氏、原田氏 談

Q 機甲兵将校としての教育で、何を最も重視していたか。何をいちばん口 やかましく言われたか。

A 「必勝の信念」 辻本氏 談
  「服が汚れていないな」 (油まみれになって整備をやれということ) 原田氏 談

5.言葉  

Q カレーライスを何と呼んでいたか(軍公式に加え、部下達や将校仲間 の間で)。

聞き漏らしましたm(__)m。

メールで頂いた平 均さんの質問

Q1/同盟国ドイツ戦車の研究及び学習はどのようであったか?

A  「士官学校時代は敵国であった英米軍やソ連軍の車輛、同盟国のドイツ軍の車輛についての情報もあった」 原田氏、辻本氏 談

Q2/特二式内火艇についてどう思うか?

A  「海軍の車輛についてはよくわからない」 原田氏、辻本氏 談

Q3/自衛隊には入隊したのか?またもしそうなら、旧軍時代の戦車戦思想との大きな違い・特徴はなにか?

A  「自衛隊には入隊していない」 原田氏、辻本氏 談

Q4/九七式中戦車の砲搭後部の機銃の必要性についてどう思うか?

A  「必要性があった」 原田氏、辻本氏 談

Q5/「馬鹿がタンクでやってくる」は見たかどうか?(冗談)

A  聞きそびれました(笑)

メールで頂いたARPさんの質問

Q キューポラと言うかハッチなんです。4式のキューポラの上のかさ部分あれははたして正 6角形なのか、
  それとも前後にひしゃげた6角形なのか。それとそれのハッチは丸なのか 6角形なのか。

A  σ(^^)の持参した四式の写真を見ながら「確かに角ばっているね、その時には丸いとしか思わなかった」 原田氏談

  注:「砲塔にあるコマンダー・ハッチの形状は、チハ車系列の車輛にある丸型のものとは異なっており、
     6角の亀甲型で、中心から両脇に開くようになっており、この型はチト車にも利用されている」
     PANZER1990/12月号「四式/五式中戦車 その開発と構造」より


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